共生微生物ゲノムデータ解析技術の開発

【腸内細菌叢】

私たちの体には、多種多様な微生物が共生しています。特に腸内には1000種類以上の細菌が合計100兆個以上も生息しており、この細菌の総体が細菌叢と呼ばれ、近年、腸内細菌叢(腸内フローラ)と健康や疾患との関連が大きな関心を集めています。腸内細菌叢の有する遺伝子は、ヒト遺伝子の約 1000 倍、2000 万にものぼります。そのバランスの崩壊が大腸炎などの腸疾患はもとより、神経変性疾患、うつなどの精神疾患まで影響を与えることが近年の研究から分かってきました。この腸内細菌叢由来の DNA配列を網羅的に読み取ったメタゲノムデータを集積し、存在する細菌の種類の変化や増減に伴う細菌叢の構成異常から健康状態や疾患の予知・予防・治療などに繋げることがこれからの10年の重要研究課題です。本研究では、細菌叢の構成異常をパスウェイ単位で検出するアルゴリズムの開発、およびその結果をヒトの健康状態や疾患と紐付けて解釈する人工知能の開発を行っています。​

【糞便移植治療によって腸内細菌叢が機能回復するメカニズムを解明】
クロストリジアデス・ディフィシル(C. difficile)という細菌は、健康な人にもごく少数存在する日和見菌ですが薬剤耐性菌です。何らかの治療のために強い抗生物質を使った際に様々な細菌が腸内で死滅していきますが、このC. difficileは生き残ります。その後毒素を産出して腸内の炎症を引き起こし時として重篤な腸炎となります。近年、欧米では強毒性のC. difficileが出現しており大きな注目を集めている疾患です。米国CDCによると、C. difficile感染症は、最も注意を要する5大脅威の1つに数えられています。治療にはバンコマイシンやメトロニダゾールといった抗菌薬が用いられますが、特に欧米諸国では再発性・難治性になることが多く、米国では年に数万人の死者が出ています。近年では、再発性C. difficile関連腸炎に対し、健康な人の糞便を内視鏡などを使って腸管内に注入する糞便移植治療※1が非常に効果的であり、実践されています。しかし、糞便移植治療がどのように再発性C. difficile関連腸炎に影響を与え、その病気の改善につながるのか、十分に解明されていませんでした。私たちは、糞便移植治療が奏功した再発性C. difficile関連腸炎患者9例およびそのドナーの糞便サンプルから腸内細菌ゲノムと腸内ウイルスゲノムを抽出し、それぞれ全ゲノムシークエンスを行いました。我々の研究グループの独自技術である腸内細菌と腸内ウイルスの解析パイプライン(Cell Host Microbe, 2020)を用いてその構成割合と感染関係の解析を行いました。その結果、糞便移植治療が乱れていた腸内細菌と腸内ウイルスの構成比や感染関係を劇的に変化させるだけでなく、腸内細菌叢の機能回復にもつながることを世界で初めて示しました(Gastroenterology, 2021)。

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【腸内ウイルス】

ヒト腸管内には、細菌と共に多様なウイルスが存在しており、その多くはコロナウイルスのような私たちの細胞に感染するウイルスではなく、細菌に感染するバクテリオファージです。バクテリオファージは、細菌に感染し自身を増やし、細菌を壊す(溶菌)ことから細菌叢に影響を与えていることは明らかですが、バクテリオファージを網羅的に解析する手法がこれまで未開発でした。私たちは、次世代シークエンサーを用いてバクテリオファージを網羅的に解析するためのプロトコルを植松智教授と共同研究を行い開発することに成功しました。また、そのシークエンスデータを用いてバクテリオファージの組成を解析するための情報解析技術を合わせて開発しています。これらの技術を用いて、ヒト糞便から細菌叢、ウイルス叢を同時に解析することにより、バクテリオファージと細菌との感染関係を明らかにする情報解析技術について開発研究を進めています。

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【(社会実装)次世代ファージ療法による多剤耐性菌の制御】

自分自身のゲノムを細菌ゲノムに挿入する「溶原ファージ」はファージ療法には使うことが出来ないとされています。赤痢菌の志賀毒素とO157のベロ毒素はファージが媒介して伝播したということもあり、このような危険な遺伝子伝播を起こす可能性があるからです。しかしながら、ゲノム挿入を伴わない感染形態を有する「溶菌ファージ」の感染関係を調べることは大変な困難を伴い、また、CRISPR領域を調べても過去の感染の履歴が分かるのみで既に耐性を獲得している可能性もあります。そこで、ファージ自体は使わず、ファージ由来の抗菌作用のある酵素を用いて標的病原性細菌を溶菌する次世代ファージ療法の開発を進めています。この次世代ファージ療法では、酵素のみを用いるため、従来は利用する事が出来なかった溶原ファージの有する様々な酵素が活用できます。私たちは、偽膜性大腸炎の原因病原菌である C. difficile を溶菌することのできるエンドライシンという酵素をメタゲノムデータから配列を同定しました。更に、同定した配列を元に実際に我々の手でエンドライシンを合成し、マウスによる感染実験まで行いました。マウスは C. difficile に感染して重篤な腸炎を発症しほぼ死亡しますが、感染後に我々のエンドライシンを導入したマウスでは、有効に C. difficile は駆除され、死亡することがほぼありませんでした。